何になりたいか決まってないからとりあえず勉強して未来の可能性が広く取れる東大に入るんです。 ある程度のレベルの大学はそういう学生が多いです。
プライドと功名心、でしょうね。 4浪して東大に入った人の記事がある。 ↓ 「日比谷から4浪東大」 彼が手放した優等生の呪縛 ギリギリで度々不合格、それでも目指した理由 6/18(日) 5:02配信 東洋経済オンライン (中略) そんな中、公立高校で唯一東大合格者数が10位以内にランクインしていたのが、今回お話をお聞きした杉山さんの出身校、東京都立日比谷高等学校です。 ■東大合格者を多数輩出する日比谷高等学校 1878年に最初にできた東京府立中学校の流れを汲む伝統校である日比谷高等学校は、2023年には51人の東大合格者を輩出。 そんな輝かしい実績を残す公立校の中で彼も東大を目指し、一度は諦めながらも4浪のすえに東大に合格しました。 伝統校に通うことが、彼の進路選択にどのような影響を及ぼしたのか、なぜ一度諦めたのに4浪してまで東大を目指したのか。彼の努力の背景に迫ります。 杉山さんは首都圏の出身で、両親ともに大卒の家庭に生まれ育ちました。「落ち着きのない子どもだった」そうですが、成績は優秀で、杉山さんが通っていた公立小学校では基本的にテストでは100点でした。 中学受験には失敗して公立中学校に入ったものの、そこでも3年間ずっと1~2位の成績だったようです。 高校受験では、中学受験の雪辱を期すため、超進学校である筑波大学附属駒場高等学校を志望します。 中3の夏にサッカー部を引退してからすぐに高校受験のための予備校・SAPIXに入った杉山さんは、猛勉強しますが、またしても第1志望に届かず、第2志望の日比谷高等学校に進学することになりました。 東京都内有数の名門公立進学校に進んだ杉山さん。1年生のときは300人いる同級生の中でも50~60位程度をキープしていたそうです。 その勢いは2年生の前半まで続いたのですが、その後成績が下降していきます。 「自分は塾に通わず、学校から言われることだけをやっていたんですが、塾に通っている人たちが高2~3になってきて急激に成績を伸ばしていったんです。彼らの本当の実力が徐々に出てきた感じですね」 ■東大の理科Ⅰ類を目指すことに 建築関係の仕事に就くのが夢だった杉山さんは、工学部建築学科がある東京大学の理科I類を第1志望に設定します。 「高3の後半では真ん中より少し下の成績に落ちてしまった」そうですが、それでも1日5時間の勉強をこなし、なんとか受験期に間に合わせてセンター試験では86%を取ります。 しかし、付け焼き刃が通用しない東大の2次試験で不合格になってしまいました。 「東大は受験者の成績開示の際に不合格のランクがA~Eまで出るのですが、自分はいちばん下のEランクで、不合格者の中でも下位1~2割の成績でした。まったく歯が立たなかったです」 こうして杉山さんは浪人を決断します。 その大きな理由には、「何としても東大に行きたい」という熱意がありました。建築関係の仕事に就くにはほかの国立大学でも十分入れる成績だったそうですが、どうして東大にこだわったのでしょうか。 「実は、中学1年生のときからずっと東大に入りたいというのが心の中にあったんです。実家に『天才たちのメッセージ 東大理III』(東大受験者の合格体験記)という本の初版があり、それを読んでいたことがきっかけでした。 今でも続くシリーズ本ですが、初期のものはまだ編集が入っていなくて、努力して合格を勝ち取った人たちの生々しい声が、口語体のままスッと自分の中に入ってきたんです。 自分は天才じゃないとわかっていたので、努力の天才である彼らみたいになりたいと思っていました。 それなのに中学・高校と入りたいところに行けなかったので、大学受験では絶対に妥協したくないという想いがありました」 こうして1浪目には北九州予備校の東京校に通うことに決めて、みっちり勉強を始めます。 7時40分に登校し、予備校が閉まる21時40分まで勉強したこの1年の経験が、「自分の心の支えになっている」と杉山さんが語るように、このときの努力は成績にも表れます。 「夏に東大模試を2つ受けたのですが、どちらも偏差値は45でE判定でした。 でも、秋の東大模試ではうち1つが偏差値60を超えて、A判定になったんです。何かの間違いじゃないかと思ってびっくりしました」 ■気が緩んでしまった結果… めきめき勉強をして力をつけた杉山さんは、センター試験でも自己ベストである89%を叩き出し、ついに東大も射程圏内に入ったと思っていました。 しかし、ここで思わぬ気の緩みが足を引っ張ることになります。それは、東大よりだいぶ早い段階で受けた大学の合格の知らせでした。 「2次試験が終わった後に防衛医科大学に合格したという知らせをもらいました。嬉しかったのですが、それで気が緩んでしまって、勉強時間が減ってしまいました。 以前は休憩時間を除いても11時間勉強をしていたのですが、8時間くらいになってしまったんです。ほかの東大受験生より明らかに少なかったですね」 結果この年も東大には40点足りずに落ちてしまいました。後期試験では一橋大学の経済学部を受験して合格したものの、入学を辞退して2浪を決意します。 「日比谷高等学校に合格したときは、第2志望でも行きたい学校だったので『よかった』という気持ちもあったのですが、一橋大学のときはそれがなかったんです。 東大に入ることだけを考えていたので、入ってからの生活がイメージできずに悩みました。 一橋も素晴らしい大学ですが、『ここで終わりでいいのか!』と自分自身ずっと悶々としてしまったので、踏ん切りをつけるために辞退しました」 こうして迎えた2浪目は、前年の慢心を戒めて、最後までペースを乱さずに1浪目と同じ生活を徹底しました。 その結果、センター試験では92%とさらに自己最高を更新。直前期にも勉強を重ねて挑んだものの、1日目の数学の出来が悪く、茫然自失となってしまいました。 「数学で出題された大問6つのうち、1問しか完答できませんでした。1日目が終わってから、予備校に行って、チューターの前で『今年もダメかもしれない』と号泣したんです。 なんとか立て直して2日目に臨んだのですが、結局合格最低点から8点足りませんでした。開示得点を見たら、数学はそんなに悪くなかったのですが、2日目の気持ちの切り替えが甘かったせいで落ちてしまったんです」 ■2浪目は全落ち、3浪目に突入 「なんとしてもこの年は落ちたくない」といった焦りから、実力を発揮できず、結局この年も合格できなかった杉山さん。併願で再び受けた一橋大学と早稲田大学も落ちてしまい、全落ちで3浪目を迎えることになりました。 3浪目に突入した杉山さんは、自分がこれまでに落ちてしまった原因を分析し、「悪い真面目さがあった」と気づきました。 「今まで自分は、勉強時間を重視すればいいと思っていました。でも、努力することが目的になってしまっていたんです。自己流でも成績がある程度伸びたので勘違いしていましたが、量じゃなくて質を優先すべきでした。受かるために必要なことだけをやればいいことにやっと気づきました」 そう考えた杉山さんは、この年から前年までのやり方を一変させます。 「東大受験の知識は全部詰め込んでいるので、回答を速く出せる状態にすることを優先しました」と語る彼は、去年までと同じ北九州予備校に通いながらも、早く帰宅し、日光を浴びて、運動をして、メンタルのコントロールに努めました。 夏にB判定で落ち込んだ東大模試の判定も、秋にはA判定が出ました。センター試験本番も自己最高の94%と、すべてが順調でした。 「この年のプランは理想的でした。いちばんうまくできたし、今年こそは受かるだろうなという確信に近い思いで受けに行きました」 しかし、勝負の神様は残酷です。結局この年は前年よりも合格最低点が開き、22点差で落ちてしまったのです。 「今年は数学の問題に自信があったので、感触的にも受かると思っていました。でも、60点くらい取れたと思っていた数学で29点しか取れていなかったんです。 ここで緊張の糸が切れました。時間無制限の中でやれることをすべてやったのに、本番だけうまくいかなくて『あぁ、もう無理だ』と思いました。ここで僕は、初めて一度、東大に行くことを諦めたんです」 結局、1浪目のときに一度受かった一橋大学の経済学部に後期試験で合格し、3浪の年齢で進学することになります。 ■4浪目をすぐに決断しなかった 「1浪目の合格のときと同じで、気持ちの切り替えができなかった」と語る杉山さん。 しかし、この年に彼の人生を大きく変える出来事が起こります。コロナの流行による、対面授業の延期でした。 「気持ちの整理がつくまでゆっくり家にいる時間と、家で授業に出れる環境があったおかげで、仮面浪人も、浪人せず一橋に通う決意も、どちらもしないまま過ごせました。この状況がなければ、きっと、気持ちの整理ができずに大学に通えなかったと思います」 https://news.yahoo.co.jp/articles/c23b324c1e85db621b99195790deae08f1f26e49
一定数はいます。 プロのミュージシャンや俳優、プロスポーツ選手になってる人だっているんだから。 数が少ないのはそもそも学生の絶対数も少ないので。 そこらのFラン大学だってプロとしてそういう世界で活躍できる人はほぼいないんだし、東大だから何か特別、ということはないです。 違うと言えば、プロのミュージシャンを志望してても無理そうなら一流企業に就職できる点でしょうか。これがFランならフリーターでしょうけど。
論理的思考能力が高いとバンドをやりたいと思っても趣味で終わると思います それはジャニーズでもスポーツでも職業にしたいとは思いません 分母がどのくらいあり、その中でどのくらいの人が成功し、その後どのくらい継続できるか、そして平均の生涯年収を計算してみたり 頭のいい人は安定志向になります 人生で賭けに出ません 1000人目指し1人が成功するかしないかの人生の賭けに出ますか? その賭けに失敗したらその後の人生は?
>東大に入れる頭脳があって >バンドやりたい、ジャニーズやりたいって人 非常に少ないと思います 東大に入れる頭脳がある人って 理系だと 新しいアイデアの実験をしたい 国際学会で発表したい 論文にして発表したい がマジで優先度高いんです・・・ あの人たち・・・
企業のギモンをYahoo!知恵袋で解決しませんか?
※Yahoo! JAPAN IDでのログインが必要です
株式会社SMILE‐UP.の
新着求人などの最新情報がメールで届きます!
製造職は三交代制となり、日勤夜勤を4勤2休のローテーションで交代して勤務することになります。…続きを見る
本社が契約している建設関連の企業へ派遣されて働くタイプなので、かなり派遣された企業によって労…続きを見る
正社員ではなくても、社会保険に加入できるので産前産後休暇はもちろん育児休業も取得できます。 …続きを見る
劇場に配属された場合、劇場運営が主な仕事。 基本はアルバイトスタッフが表で勤務してくれてい…続きを見る
上司によるとは思いますが、何年かで 上司が変わるので公正に評価してくれる上司ならいいですが…続きを見る
新着クチコミや新着Q&Aなどの
最新情報をメールで受け取れます!
現在機能改善のため一時停止しております。
再開の時期が決まりましたら改めてお知らせいたします。
株式会社SMILE‐UP.を
フォローする※Yahoo! JAPAN IDでのログインが必要です
※マイページの配信設定内の「 フォロー中企業の新着情報 」の設定をオンにしてお使いください
低コストで欲しい人材を獲得できるマッチングサービスをご利用いただけます(固定費0円)
詳しく見る企業の最新情報をメールでお知らせします
あなたにおすすめの会社をフォローしてみませんか?
※求人情報の検索は株式会社スタンバイが提供する求人検索エンジン「スタンバイ」となります。