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地元での就職が心配でした。大きな町でもないので企業数も会社の規模も退社したところよりは見劣りするところばかりだったのでかなり焦りはありました。年収、労働条件などをみてもやはりいいところがなかなか見つからずに一か月ぐらいは就職活動をし、検討した中で自分の能力などを生かせるような会社に決めました。就職活動中はやはり焦りが大きく、どこでもいいというわけにもいかず大変悩みました。運よく今の会社に就職できたのでよかったと今思えます。
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当時は珍しかったコンピューター制御の工作機械の製造に従事していました。そこでプログラムの仕方や構造などを学べてよかったと思います。トランスファマシン、マシニングセンタなどの機械組み立て作業をする上で必要な基本の加工技術を学べ、当時、先端だったコンピューター制御の技術を学べてよかったと思います。非常にやりがいを感じさせる仕事、企業だったと思います。
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年収は同年代としてはよかった方だと思う。地元に帰省した時に友人と年収の話になったときにそう感じた。友人が勤めていたのが地方の企業だったというのもあると思うが、自分より低かったと思う。昇給も、成果主義だったのできつい面もあるが自分の仕事内容に応じて昇給もあったので割合昇給もよかったと思う。昇給幅もいろいろあり、目立った成果を上げればその分昇給金額も多かった。賞与に関しても、同じ年代としてはよかった方だと思う。安定した会社だったので、毎年、決まった額が支給されていた。ただ、昇給の幅があるので同期でも支給される金額はさまざまだった。地方の企業とくらべても支給額はよかったように思う。福利厚生も会社の中に医務室があったり、決まった時間に就業中でも午前、午後に休憩時間があったりしてそういうところはいいと思った。また、会社の保養所もあり申請すれば誰でも使えるようだった。家族で利用する人もいたようだった。
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会社の評価基準が成果主義だったのでその分やりがいはありました。同期でも給与の差が出てくるのは当たり前で、図面が読める、正確な仕事ができるといった基本的なことができるのを求められ、それができなければ評価が下がっていくので年々自分の仕事内容を高めていかないと評価にはつながらなかった。しかし、それができていけば、若くてもグループのリーダーになれるしグループの成果があがれば製造部の主任、部長になることも普通にあるので、成果主義のほうが良かったと思う
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職場内の人間関係もとてもよく高いスキルをもった先輩の方々が多くいて技術的な事も親切に教えてもらいました。寮生活だったので同じ寮にいる同期の友人も一緒に働いていたのでその点は楽しかったと思います。
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当時は珍しかった数値制御による自動工作機械の製造に携わりそのプログラムの入力方法など実社会で学べたことは大きな経験となった。トヨタ自動車の関連会社だったので給与、昇給も個人の実績に応じて決められていたのでやりがいを感じていた。
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福利厚生はしかっりしていたと思う。給料天引きで毎月、共済会への積み立てがあり冠婚葬祭のときにはそこからご祝儀、御香典なども支払われていた。保養所もあり、家族がいる方は申し込みすれば低料金で利用できた。昇給は、実績で評価されていたので、がんばれば昇給する。昇給幅もそれぞれ違ったのでいい意味でやりがいはあったと思う。
投稿日:
母が病気になり母から帰ってきて欲しいという申し出があったため退社しました。現在、母は亡くなりましたがあとから思えばその時に帰ってきてよかったと思います。自分の好きな仕事内容で会社としてもいい会社で、正直、退社することに少なからず抵抗みたいなものもありはしたんですが、母からの頼みは断れませんでした。
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