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徳川幕府で斬首刑執行人を代々世襲してきた山田浅右衛門家は幕府滅亡後に新政府に採用。司法省(今の法務省)の出先機関である市ヶ谷監獄(刑務所)の書記となったそうですがすぐに退職しました。

旧幕臣で生活に困窮して大身旗本ですら娘を身売りする者が続出していた明治時代に新政府に再就職できた旧幕臣は勝ち組です。 もっと言えば維新勝ち組の薩長士族ですら職にあぶれる者が多くて、萩の乱や西南戦争は職にあぶれた薩長士族の不満から発生した反乱です。 なぜ山田浅右衛門はすぐに退職したのですか?補足変節漢とか不忠臣とか罵られようとも食う為に新政府への再就職を望む者は多かったと思いますが。 娘を身売りするよりはマシでしょ?

質問日2020/05/11 19:09:03
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回答(3件)

  • 新政府の元でも首斬り役を勤めましたがやがて首斬りが廃止されました。不平等条約改正の障りになるからです。 外国でも自国民を首斬り、拷問を認めると国に委ねたいとは思わないでしょう。 幕府の元では山田浅右衛門は首斬りで飯を食ってた訳ではなく、罪人の死体で刀のお試し御用を勤めたり脳みそで丸薬作って販売する事によって儲けてました。 書紀などと言う事務職に向いてるとは到底思えず蓄えがあるから我慢して務める必要もなかったのでしょう。

    回答日2020/05/12 00:58:08
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  • 事務職は肌に合わなかったんだろう 財産や人体薬があったから生活には困らなかった >再就職できた旧幕臣は勝ち組です 維新当時は旧幕臣は手をあげるだけで 屋敷もそのまま新政府に就職できたが そういう人間はまれだった 再就職した連中は町の嫌われ者になり 魚屋も魚を売らなかったぐらいだ

    回答日2020/05/11 21:50:52
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  • 試斬と 斬首を生業としていた人が 斬首刑が廃止になり 書記として残る事が出来ても やはり遣り甲斐を感じなかったのでしょう。 その後 刀剣の鑑定と 経文を謄写したり バラバラになった古い経文を繋ぎ合わせたりしたそうですが、明治初年に禁じられましたが、山田家には 斬った人から取り出した 肝臓や胆嚢を原料にした薬を 大量に保有していて、退職後10年程は これを売って 暮らして居たそうです。

    回答日2020/05/11 20:49:36
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