私の父親は松下電器産業株式会社(現在のパナソニック)のいっぱしの正社員でした、大阪府茨木市にあった茨木支社(工場)の企画部に勤めていたそうです。 その後転勤で神奈川県の支社の海外事業部やシステムなんとか部でも勤めていました。 ですが中でも、茨木支社で勤めるのは松下電器の社員たちの中でも、花形であったというのを見聞きしました。 なぜなら、当時の松下電器はテレビ関連の開発生産に最も力を注いでいて、ある意味では松下電器本社以上に重要な位置づけでもあったと。 そのことを証明するかのように、世界のVIPと呼ばれるような方々も来日した際に、松下電器を視察に訪れたそうですが、その大半が茨木支社の工場を訪問していたとか。 イギリスのダイアナ妃や中国共産党幹部である鄧小平も視察に訪れてたそうですし。 さらに私の父親が茨木支社に勤めていた時代にも、モナコ大公と結婚していた元アメリカ女優のグレース公妃が茨木支社を視察に訪れた、父親を含めた社員たちが遠目でも一目見ようとグレース公妃を見に行ったそうです。 とても綺麗な公妃様であったと、父親は生前に語っていました。 ですがどうなのでしょう、数多くある松下電器産業株式会社(現パナソニック)の支社や工場の中でも、茨木支社はある意味の花形であり、本社に並んで重要な拠点であったのでしょうか? それとも、それほどでもなくて、茨木支社を過剰に持ち上げている話なのですかね? あと、他にも松下電器を、特に茨木支社を訪れたVIPもおられたら知りたいです。 松下電器産業株式会社に関心のある方など、ぜひ皆様のご意見をお聞かせ下さい、画像は松下電器茨木支社です、クリックすれば大きく見れると思います。
水を挟むようで心苦しいものでございますが まず海外要人というものの視察ですが 外務省を通じて「こんなものを見たい」という希望がやって来ます そこで 外務省から企業に問い合わせが来ると 日程とか 工程などをうちあわせして じゃあここにしようよ付け合わせして決まってくるものです という程度のものでしかございません と松下さんのテレビ事業部 マグネトロンですが 私が知っているある筋からの情報では 時代的にも失敗したものだったそうです 松下さんとしては 最先端技術だからどうしても売りたい という思惑が1人走りしていて でも時代は 液晶に移行している時代だったので 世界的には 陳腐化していたそうです いくら技術が素晴らしくとも時代には乗れなかった商品で 結局は淘汰されたものでしか無いというものだったという結果になったものだそうです そして ここがとっても面白いのですが 実は液晶がこれからの時代になるということが段々とわかって来ると 1番先に 事業部長が逃げ出した それから次々と偉い方が順次逃げ出して行ったそうで 最後に残ったのが 閉鎖会見をした人達 えっ! 何で私が? と本人は思ったそうで 取り敢えず席に座らされて 頭を下げとこ だったと本人はもうしておりました 因みにその方は 突然意味も解らず 社内転勤でやって来て 与えられた仕事が 事業閉鎖だったそうで 事業内容何てさっぱり解らないまま結局責任者の様に振る舞って 会見に臨んだそうですよ
海外要人の視察は、付け合わせで視察場所が決まるのですね。 松下電器のテレビは時代的に取り残され始めていた一面もあるのですね、時代は液晶に移り始めたようです。 閉鎖会見をした人は、ろくに事業内容を理解できてない人だったようです。 でも、一時期の松下電器が一世を風靡したことは間違いないと思います。 丁寧な回答でした、BAに選ばせていただきますね。
ボ、ボクは小学生でしゅが・・・ かつて金バッチ企業とよばれる日本の株式会社があった。そのいくつに松下電器、電通あとは忘れたが社員が背広に社章をつけて存在をあきらかにする集団としてそういう人たちと同様として見られていた。たぶん松下電器のアセンブラーとして出現し製造業でありながら製造業以外の事業を実行するフィクサーの作割を演出してバブル経済によって壮大な失敗に帰結したんじゃないのかとおもわれる。京都KBSがテレビ事業者としてはじめて倒産しイトマン事件にいたるように戦後日本経済の闇社会をおったぶぶんであったとおもわれる。阪神間が特殊事例としての凶悪犯罪多発地帯でありながら現在においてもいちおうは国際競争力を保持しているのとちがい茨木市はかつて関西のメーカーが本社機能をもっていた場所でいわゆる大阪の文化とは異なっていた印象をまとっていた。ダイアナ妃がメカトロに女子の名前と写真が貼られているのをおもしろがり写真がヌードではないのですねと冗談を述べられたのは服を着たファッション性のあるモデル素材をかんたんに調達できた地位をかつてはもっていたからだろうか。茨城工場は製造業でありながら現在の商社機能をあたえられ権力抗争に勝ち残ったイロモノ社員の巣窟だったとおもわれる。 https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8695736_po_ajiro051101.pdf?contentNo=1 >> パナソニックの窮状を見て、かつて話題になったグループ企業を思い出した。「松下興産」と「ナショナルリース」である。いずれも松下幸之助の肝いりで設立された名門企業だった。が、80年代後半から90年初頭のバブル景気に踊った末に解体され、もはや存在しない。 松下興産は不動産開発を手掛けてきた。「松下IMPビル」や「MIDビル」といったテナントビルやリゾートマンション、国内外でホテルやゴルフ場、レジャー施設の事業を手広く展開してきた。が、バブル崩壊後に経営が立ち行かなくなる。 99年には親会社の松下電器やメインバンクの住友銀行から1500億円の金融支援を受け、資産売却をしながら再建策を模索してきた。だが、05年には債務超過に陥り、会社を分割。米投資ファンド「エートス・ジャパン」に一部を身売りし、残った不動産管理を松下家の出資企業「MID都市開発」が引き継いだ。 栄枯盛衰は企業社会の常ではある。だが、なかでもパナソニックグループはそれが激しい。家電メーカーでありながら、不動産や金融に色気を出し、バブル経済崩壊の痛手をもろに被った。その典型が、もう一つのグループ企業、ノンバンクのナショナルリースの放漫経営ではないだろうか。 もとは51年、松下電器の家電製品を月賦販売するため設立した「ナショナルラジオ月販」である。そこから製品のリース業に参入してナショナルリースと社名変更。バブル時代、多くのリース会社がそうであったように、不動産や株式投資向けの融資を始めた。そのナショナルリースを最も有名にした取引相手が、大阪の料亭「恵川」の女将、尾上縫だ。 >> 関口が大阪府警本部長時代に「潰した」と疑惑を持たれている「大型経済事件」とは一体何だったのか。その疑惑の核心を探るべく、取材班は一路、大阪に飛んだ。 ● 潰された”第二のイトマン事件” 戦後最大級の経済事件といわれたイトマン事件の捜査が終盤にさしかかっていた90年代前半、大手金融機関が関与した”第二のイトマン事件”と呼ばれた新たな大型経済事件が関西に浮上した。 大阪の不動産会社「ライトプランニング社」(現在は社名変更・以下ラ社)が、バブル期に松下電器産業のノンバンク「ナショナルリース」からピーク時に970億円の融資を引き出すなど、様々な形で巨額の資金を調達し、大阪・キタなどで次々と大規模で違法な地上げを展開。その一方で大阪府警幹部や大阪市幹部がこのラ社からゴルフ接待や高級クラブでの饗応を受けていたことが発覚し、関西経済界だけでなく大阪府警、大阪市までを巻き込んだ一大事件に発展した。後に松下電器産業社長辞任の引き金になり、大阪府警関係者から「ライトプランニング事件」と呼ばれた疑惑である。 「あとはMのガラ(身柄)を押さえるだけやった。とりあえず会社設立の際の公正証書原本不実記載と商法違反でな。その後、Sを共犯でパクって、最終的には大阪市職員のサンズイ(汚職)まで上ろうという段取りやったんや」(前出・捜査関係者) ところがその防犯時捜隊の捜査に、ある日突然「待った」がかかったというのだ。今度は当時を知る大阪地検関係者が証言する。 「あれは確か93年の秋ごろの話や。どうやら府警の上層部から現場に対して何らかの圧力がかかったらしい。そもそもあの事件に潰れるような要因はなかった。当時の防犯特捜隊の調べはカッチリしとったし、なによりウチの特捜検事がMの身柄を取るのにGOサインを出しとった。にもかかわらず、府警の上層部は待ったをかけたんや。逆のケースはなんぼでもあるけど、通常考えられんこっちゃ。現場の捜査員も当時、『”上”から圧力がかかりましたわ』ってえらい悔しがっとった」 ●捜査潰しの背景に隠された驚くべき疑惑 大手金融機関の組織的関与や、巨額の資金の複雑な流れなどから”第二のイトマン事件”と呼ばれた「ライトプランニング事件」。その捜査はなぜあと一歩というところで潰されたのか。そして現場の捜査員にブレーキをかけた”上”とは一体、誰なのか。当時を知る三和銀行関係者を当たったところ、取材班は複数の三和銀行関係者から驚くべき証言を得たのである。ある三和銀行関係者が絶対匿名を条件に語る。 「確かに当時、府警の捜査が三和の足元まで迫っていたのは事実です。それが急に捜査が中断されたと聞いたんで、こちらとしても正直、驚いたのを覚えています。が、後になって『あの件では渡辺頭取自身が動いた』と聞いて納得しました。当時の府警本部長は関口さんですからね。三和の上層部で渡辺さんと関口さんの仲を知らない者はいませんよ」 確かに関口は92年9月から94年の7月まで大阪府警本部長に就任している。92年9月といえば、間違いなくライトプランニング事件の内偵の真っ最中である。関係者が続ける。「実は渡辺さんと関口さんは、関口さんが府警の捜査二課長時代からの仲らしく、2人の間には太いパイプがあるんです。関口さんが本部長時代に子飼いといわれた宮本(●”人偏に長”・元大阪府警総務部長)さんは現在、三和の顧問に就いているんですが、これも関口さんの強い後押しがあったからだといわれています」 関口が府警捜査二課長時代に関西人脈を広げたことは先にも述べた。そしてその人脈の中心が渡辺をはじめとする三和銀行上層部だったというワケである。が、この関係者によると、関口は今も、ある「会」を通じて、三和銀行との”親交”を深めているというのだ。 関西空港から車で約1時間、大阪府豊能郡能勢町にある「アートレークゴルフクラブ」。関西屈指の名門コースとして知られ、会員には渡辺相談役をはじめ、三和銀行の上層部も名を連ね、三和銀行の接待用ゴルフ場とも言われている。前出の関係者が語る。 「ライバルの住友が、『花月会』を通じて、検察・国税人脈を着々と築いていたことに焦った三和が目をつけたのが警察人脈。そこで渡辺さんが頭取時代に作ったのが、このアートレークゴルフクラブを舞台にした『アートレークの会』なんです。コースを回った後は、鰻谷界隈の料亭で食事。そしてキタの高級クラブに流れる……というのがお決まりのコースで、接待費は全て三和持ち。この会を通じて三和は、府警に着任したキャリアに対する接待攻勢を強めていったんですが、その中心メンバーが、関口さんだったんです」 まさに「花月会」に見る住友銀行と検察主流派との癒着ぶりに勝るとも劣らない関係である。
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