一橋大学は昔は元東京商科大学でしたのでゼミナールが充実した看板学部の商学部と都留重人をはじめとした幾多の有名な近代経済学者をスタッフ陣として擁していた阪大経済学部と並ぶ近代経済学のメッカ : 経済学部がピカイチの就職貴族ぶりを誇っていました。 特に総合商社や都市銀行、証券会社が一橋の大のお得意様企業群でした。ロッキード事件の丸紅ルートで田中角栄総理への贈賄容疑で有名になった丸紅の檜山弘会長や三菱商事の『ブンチン』こと田部文一郎社長、三井物産の『ハヤブサの達』こと水上達三社長等は皆、旧東京商科大学時代のOBの辣腕商社マン達でした。 戦後、昭和24年に旧東京商科大学の法律学、政治学、心理学、歴史学、文学、社会学部門のスタッフ陣で構成された新設学部として新設され先日亡くなられた元東京都知事の石原慎太郎氏が神奈川県立湘南高校から進んだ法学社会学部は商学部や経済学部よりは就職貴族ぶりはいまいち落ちました。 この法学社会学部は昭和26年に法学部と社会学部に分離されます。 特に法学部は直ぐにその法律学スタッフ陣の優秀さと法学部生の司法試験合格率の高さで入試難易度も経済学部や商学部とすぐに並びましたので就職貴族ぶりも商学部=経済学部=法学部の等式が成立しましたがマルクス経済学や大塚金之助=高島善哉(初代法学社会学部社会学科長)=マルクス史観に染まった左翼教授陣が大半を占め一橋では珍しく人文科学系統の学問の場だった社会学部は一橋OBの金城湯池といえる総合商社や都市銀行の就職率は可成り落ちて今ひとつでした。 そのかわりに一橋社会学部は商学部や経済学部、法学部の学生があまり行かない新聞社、テレビ局、出版社等のマスコミや広告代理店等への就職が比較的多い独特な性格を持つ学部となりました。 私は国立大学が一期校・二期校に分かれていた昭和時代に於いて東京大学教養学部文科一類の併願に慶應義塾大学法学部法律学科を受験して進学した塾員です。 慶應義塾では在学生を塾生、卒業生と塾評議員会で特選された者を塾員と言います。
商社マンとして、国内外のクライアントと接することを通じて多様な価値観、パースペクティブを身につけてさまざまな場面でそれを活用できるようになった。主に資源、エネル...
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