教えて!しごとの先生
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研究者、、講師?准教授、、等々へなっていく流れについて教えてください。

研究者、、講師?准教授、、等々へなっていく流れについて教えてください。男で25くらいで博士課程前期は終えている文系で、その後の流れは自分の認識だとプラス3年か4年くらいで後期を終え、自分の大学に残るなり他に行くなりで講師として働きつつ研究を続けて発表などもしつつ、どうにか40になるくらいまでに准教に慣れたら・・・っていうコースか、後期を終えた後すぐに准教になれてずっと50過ぎても准教のパターン、順調に教授になれるパターン、、まあいろいろなんでしょうか。 それともある程度研究者としてごく普通レベルをクリアして学問してる場合は、こういうながれだっていうのがあるものでしょうか。 また、博士後期終えたあたりくらいから?ネットなどで検索したらその人の名前って数件は出てくるのが普通でしょうか。(オンラインの論文書いた人の名前とかで) その人が書いた論文が出てこないのは、どういう状況でしょうか。 文系の場合、後期で苦労はあまりせず30前には博士後期終わってるのが普通なのか、人それぞれなのか(研究者になっていく場合)、はたまた教授に結構かわいがられている状況ならば頑張っていればサクサクと上に上がれるものでしょうか(教授とうまくいかずに苦労してた人も知っている為)。 理系の人の流れは身近で見たことがある為いくつかパターンは知ってるのですが、文系の場合はどうなのかとても知りたい状況です。 それぞれのステージの給与も知りたいです。

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回答(3件)

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    以下、この手の回答は回答者の経験と伝聞に基づいています。どこまで受け入れるかは質問者様次第です。 専攻、大学、時代によって様々ですね。 同じ文系と言っても人文から社会学系まで、さまざまで、それぞれの分野の需要も異なります。最近は大学院後期課程まで設置の大学が増えましたが、残念ながらある程度以下の大学院では前期課程修了だけでは、あるいは後期単位習得満期退学ではあまり将来が開けるとは思えません。但し後期修了、すなわち博士学位取得にまで至れば話は別です。 元々大学によっては前期課程は定員も多く比較的鷹揚に入れるが、後期課程は厳選し定員も少なく、簡単には入れないというところがありますが、そのような所は後期課程に入ればいっぱしの研究者を目指させるという意図の裏返しと思います。しっかり研究者を育てるから、入れる時もそれにこたえるような能力と意図のある志願者しか受け付けないということと思います。そのような所では後期課程在学中に学会発表や欧米大への留学などを指導されると思います。 一方私が勤めた大学院は中堅大だったので志願者自体が少なく、大抵は前期課程で高校の教職に就くか、一般就職するかでした。年に一人かそこらしかいない後期進学者の中には、ごく稀には3年で博士号を取り修了する学生もいましたが、それでも数年は非常勤講師を勤めつつ専任校の公募に応募する生活を繰り返し、ようやく地方の大学の専任講師採用になりました。そこは専門課程もあり、専門科目の担当もあたのに、当人は地方が嫌だったのか、数年で母校に戻りましたが出身の大学院とは関係のない学部の一般教育担当講師でした。 もう一人の院生は後期課程満期退学後、母校の出身学部一般教育の非常勤をさせてもらっていましたが、10年後にようやく公募応募が通じ、選抜されて専任講師として赴任しました。この間論文は機に応じて書いてはいましたが、あまり目立った学会活動はしていなかったと思います。他の院生も、国内トップの学会で口頭発表を遂げた後しばらくして高専の専任講師に採用されました。彼の場合出身地に近かったための選択と思います。 後期課程満期の後に博士論文の準備をしている、乃至は公募に挑戦している人には、母校が非常勤講師を提供するというところが多くありますが、これも同じ立場の人が多ければ3年までのような期限を決められる場合もあります。私の大学では該当者が少なかったので、非常勤は本人の希望するだけ続けられましたが、その後非正規雇用の制度が変わったので実質10年かそこらの期限が付いてきたと思います。 このほかにも私の勤務した中堅大には、後期課程満期退学者がかなりいましたが、中には母校や他大学のの非常勤講師のほか、高校や予備校の非常勤講師も兼任して糊口をしのいでいた所、数年前に亡くなられた方もいます。中年後期になり過労のための病死だったかもしれません。非常勤だけの場合それほど働いても専任教員ほど稼げないということです。大学の非常勤講師は、高くとも1コマ月給3万円くらいです。10コマくらい担当しないと生活できませんね。 前述の、後期課程に志願の進学者は選ぶという大学院でも、志願者だった私の教え子に言わせると、後期課程院生の時期に1年以上は英米に留学しておかないと満期退学後になかなか公募に通らないということのようです。このほか後期課程在学中に、それぞれの分野で国内トップの学会発表を達成し、論文投稿して採用されると業績として評価されますから、公募時の有力材料になります。 後期課程満期退学後、母校に残るというのは非常勤講師をさせてもらうくらいしかありません。身分的には弱い立場です。文系では期限付き助教はあまり置かないと思います。 外に出るということは、今ではほとんど公募に応募して選抜されるのを待つことですが、これがなかなか難しく。少なくとも数件応募してようやく面接までこぎつけますが、その上ででも落とされることがしばしばです。 一方ようやく公募に通り採用されると、文系私学では大抵専任講師から准教授、教授までは職位の上下に関係なく学部の中では平等と思います。嘗ては教授会と言えば正教授だけで構成し助教授・講師は蚊帳の外だった時代があります。今でも医学部などにこの制度が残っているようですが、普通は教授会と言えば大抵学部の専任講師以上教授までの全教員が構成し、互いに平等です。学部ごとの教授会規定があるので一概には言えません。 普通、准教授から教授への昇格の人事教授会にも専任講師が参加して、最終投票に加わると思います。これも大学の人事規定次第です。普通は教授会の事前に、選ばれた教授が構成する人事委員会で昇格検討に入れるかどうか、審査に入るかどうか、入った場合誰が審査するかなど決めて教授会に諮り、その決定に基づいて審査委員会を数人で構成し審査結果、大抵は昇格決定を教授会に報告提案して、最終は秘密投票による教授会の決定を待ちます。 人事の教授会最終投票は人事委員会の意見に従うことが多いので、よほど批判的な人以外は昇格反対に入れる人はいないので、大抵は満票で昇格が決まります。新任人事の場合もほぼ同じような経緯で採用を決めます。 国立大は理系の場合、研究室制度があるのは私大と同じですが、文系の場合は講座制があり、教授と准教授、専任講師、助教は身分制度のような性格があるようです。私立の場合は殆ど講座制はないと思います。昔国立から私立に移動した先生が言っていたのを思い出しますが、私大の教養部や文系学部はそれぞれの専任教員が職位に関係なく一国一城の主だとききました。 最後に時代変化ですが、私が院生だった約50年前は、需要の高い分野の場合まだ修士だけで大学の助手乃至は専任講師に採用されることがよくありました。採用も公募もありましたが大抵形式上だけで、あらかじめ採用する人を決めていたことが多くあったようです。私自身D1で退学して短大の専任講師に就職しましたが、その時は公募でなく、宗教系の同系から若手を取りたいという意思で、院生の中から志願した私がそのまま採用でした。 しかし勤務条件が悪かったので3年でやめて他の大学に転じましたが、この時は公募に数件応募し、それぞれの奇怪な人事の闇を経験しました。詳しいことは述べませんが公募の場合も選ばれるまでには奇怪なこともありますから、自分が**大の公募に挑戦中ということは絶対に漏らしてはいけないことです。ほぼ決まりかけていたところ、そのことを漏らしたらウチから出て行っては困るということで当の大学に「割愛願いには応じられない」と内々に伝え、その方の採用が流れたことも目にしてきました。なお、大学を転任する時は新任先の学部長格が現勤務校の学部長乃至は学長宛に「割愛願い」を送ることが慣例です。つまり貴校の**教授を我が大学に割愛いたしますからよろしく、ということです。普通は了承しますが、割愛を出さないこともあり、その場合は当該教員が勝手に自己都合退職するだけのこととなり、円満退職ではなくなるので、勤務校との関係が悪くなるだけでなく、新任先の大学に人材を引き抜かれたということになります。 私は2度転職して短大と大学・大学院3つ経験しました。二つ目の大学では教授を15年以上続けていたので名誉教授の資格はありましたが、中途転職なので授与の話はありませんでした。最後の大学は16年教授で、大学院の後期マル合も取ったので、完全退職時に名誉教授の称号を授与されました。同時に授与された方の中には、歴任した専任校がここ1校だけで、30年以上勤めたという方もいました。 なお、名誉教授と言っても普通はその後講義授業を持つことはなく、報酬もなく、正に名誉だけです。最近ではそれまでのe-mailアドレスが使えるので全学発信のメールなどは届きます。平時であれば卒業式や記念パーティーなどには招待されますが、それ以外の特典と言えば学部研究所の紀要に論文を投稿できる程度です。退職後もふらりと元勤務地に顔を出す先生もいますが、大抵は一切近寄らないものです。 最後にお尋ねの給与に関しては、国立より私学の方が少しいいのが普通と思います。国立の場合は殆どどこも同じと思いますが、東大は公表していますね。 https://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_syuki/syuki02.pdf 最後の方に俸給表があります。どの等級がどの職位のそれに当たるかは本文中に記載があるかと思います。 私学もこれに似た俸給表を内部に公表しているのが普通です。私が最初の短大を3年でやめた理由の一つは、就任前までは国立並みの俸給と聞いていたのに、実際は1号俸づつ下だったからです。つまり教授になっても当時の助教授の俸給表によるということです。求人に来た学長(女性修道士)が嘘をついたことになります。他にもいろいろあり、カトリックの修道士に信頼をなくしました。 東大も同じかと思いますが、60歳になると昇給停止乃至は減額があるようです。これはその昔の55歳定年を引き上げた時の引換条件が今でも残っているものと思います。 なお私の大学では65歳定年で、その後一年事に契約更改の特約教授制度があり、俸給は全教員の平均額で、70歳になった年の年度末まで勤めました。

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  • 「自分の大学に残るなり他に・・・」まずは公募サイトを じっくり眺めてみて,ご自分の分野の教員公募がどのように 実施されているかをご確認ください。 https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekTop 博士号があと1年なり10ヶ月くらいで確実なころに,指導 教員に相談すれば,どこの大学の助教枠が空きそうだという 情報くらいはわかる場合もあるし,上の公募サイトで探せば 出てきます。まずは助教から。文系のことは知りませんが, 工学系の場合は,博士号取得時に,3編以上の出版論文が あり,できれば英文で第一著者でとかの実績が必要ですし, 研究テーマも2つくらいは書けないといけません。また教育 への抱負もきちんと実績を踏まえて主張できるのが望ましい。 公募ですから,全世界から応募があります。助教一人に数名 から10名以上の応募者があり,論文の質と量で候補者を絞り ます。もちろん,ある程度候補が絞られた状態で,人柄も 観察することになります。 教員の異動・採用は,学科ごとに思想が異なります。できる だけ他大学で学位をとった教員を50%くらいは確保しようと するところもあれば,自大学卒が80%以上になるように運営 しているところもある。いつ,どのポジションが空くかは 確実にはわからないし,公募といっても研究分野を狭くして 縁故採用のような(出来レースの公募)公募をする学科・ 専攻もあります。

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  • いろいろですが、何となくあります。ただ普通レベルですと職に就けないこともままあります。 出てきます。わかりません。私の分野では想定できません。 苦労の定義次第ですが、人それぞれです。先生にかわいがられるどうこうというのはどうでもよく(もちろん断絶していたらどうしようもないですが)、業績次第です。 給与については雇用先次第でいろいろです。

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