文学博士号を持つ、元高校教諭として、ひと言。頭が良い……ということが何を意味するかは、さておいて、レベルの高い生徒を、とくに勉強の面で指導が可能なのかというご質問だと捉え、ご回答いたします。回答は、ただひと言であって、「十分に可能」のみ。その理由は、高校の場合は通常、一人の教師のかかわるものは、ただ一科目だけですし、大学入学以来、基本的には、それしか学ばない上に、教師になった後は、来る日も来る日も、その科目の同じところを何度も教えますから、知識の蓄積がない方が、むしろおかしいわけです。それに、その教えることは、間違っても学界の最高レベルを超える内容になどなるはずもなく、どこまで行っても、高校の教材の範囲ですから、それは、一定の質と量に限られています。ですから、高校教員としては、たとえレベルの高い生徒をも指導出来て当然ということになります。それより大変なことは、実は、高校の場合、教員採用試験であって、それを受験する人は、それぞれ専門の専攻学科を出ているばかりか、中には大学院博士前期課程を修了して、修士号を持っている人もいるかも知れません。そんな中で、高校教師になるには、この試験に勝ち抜かなくてはなりません。高校教師としての私の誇りは、この採用試験合格……という印象を受ける同僚もいました。それほど大変な難関ですから、高校教師を目指すなら、この試験突破が何より、人生の先ず初めの目標となるはずです。
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もと高校教師がお答えいたします。 高校教師だって普通の人間ですから頭が良いからなれたというわけではありません。 事実、私は東大京大を目指す生徒をしっかり教科指導できるかというと「できません」。第一、私自身がそんな頭持っていませんから。 大切なのは受験上の知識や指導技術でなく、「教育者としての総合的な指導能力」が決めてて、公立学校の場合、下世話な話ですが「給与にもストレートに差が生じることになっています」。 教員の仕事って、生徒や世間の目に触れない、知られていない仕事が結構あって、そっちの方が「つらい」部分もあり、せっかく教員になれたのに思っていた仕事と違うと言って辞める人が多いのも事実です。 話がそれましたが、教科内容をハイレベルに指導できるからといって、それで頭がいいかというと違うかなぁと思います。「本当に頭のイイ教員は、何でも仕事をそつなくこなすオールマイティーな能力者」かもしれません。 ※PTAやモンスターの親と戦って百戦百勝の教員は本当に尊敬します。 頭良すぎだと思います。 授業をしっかりするより、親と戦って負けない教員のほうが偉いと評価される学校現場だっていっぱいあるんですよ。 それが教員の世界です。
2人が参考になると回答しました
大学進学する子の中位くらいレベルでなれると思います。 高校の教師になっても自分の専門分野(数学とか物理とか)の勉強を続ける先生もみえますし、高校生の質問は受験の範囲に限られることが多いですし、進学校の先生ならそのくらいは対応出来る様になるもので、あなたも大丈夫だと思いますよ。
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